エッセイ・レポート

欧州における俳句の実情と可能性 [金子如泉]

平成十六年七月二十六日から八月二十四日まで、イタリア・イギリス・フランス・ドイツ四ヶ国を巡った。


この旅で得たものは、個人的には言い尽くせないほど沢山あるが、俳句の調査においてはやっと端緒に付いたという感が強い。その中で今回の報告は、体験し実感したものを中心に取り上げることにしたい。

現在日本では俳句人口が千二百万人といわれているが、欧州では一体どれほどの人が俳句を作るのであろうか。


世界に目を広げてみると、北米・南米・アフリカ等は俳句が大人だけではなく、小学校の授業の中で取り入れられているとのことだ。確かにこれらの国では、日系人だけではなく現地の人々が沢山俳句を作っていることが報告されている。それぞれの国で俳句雑誌まで作られている俳句というものは、様々な国にどのように受容されていったのであろうか。


日本の俳句を振り返ると、その特質は同一文化伝統を持っていない民族にはなかなか受け入れられないと思われる。しかし、現在世界中で俳句が作られている現状を見ると俳句の持っている特質が逆に世界中で注目に値する、もしくは価値ある文芸として見られている節があるようだ。


その大きな理由は、コンピューターの世界的な普及による地球規模の情報交換が頻繁になされてきたことに起因しているのではなかろうか。現在地球規模で環境破壊がなされていることは世界の子供たちまで知識として理解している。地球の環境汚染が、この地球の歴史の中でわずか五十年の間に驚異的に進んでしまった。そのことは、異国間を問わず人類が抱える危機感として各国が地球運命共同体としての認識とそれを守るべき義務を理解するまでに到っているといえよう。