エッセイ・レポート

欧州における俳句の実情と可能性 [金子如泉]

平成十六年七月二十六日から八月二十四日まで、イタリア・イギリス・フランス・ドイツ四ヶ国を巡った。


この旅で得たものは、個人的には言い尽くせないほど沢山あるが、俳句の調査においてはやっと端緒に付いたという感が強い。その中で今回の報告は、体験し実感したものを中心に取り上げることにしたい。

現在日本では俳句人口が千二百万人といわれているが、欧州では一体どれほどの人が俳句を作るのであろうか。


世界に目を広げてみると、北米・南米・アフリカ等は俳句が大人だけではなく、小学校の授業の中で取り入れられているとのことだ。確かにこれらの国では、日系人だけではなく現地の人々が沢山俳句を作っていることが報告されている。それぞれの国で俳句雑誌まで作られている俳句というものは、様々な国にどのように受容されていったのであろうか。


日本の俳句を振り返ると、その特質は同一文化伝統を持っていない民族にはなかなか受け入れられないと思われる。しかし、現在世界中で俳句が作られている現状を見ると俳句の持っている特質が逆に世界中で注目に値する、もしくは価値ある文芸として見られている節があるようだ。


その大きな理由は、コンピューターの世界的な普及による地球規模の情報交換が頻繁になされてきたことに起因しているのではなかろうか。現在地球規模で環境破壊がなされていることは世界の子供たちまで知識として理解している。地球の環境汚染が、この地球の歴史の中でわずか五十年の間に驚異的に進んでしまった。そのことは、異国間を問わず人類が抱える危機感として各国が地球運命共同体としての認識とそれを守るべき義務を理解するまでに到っているといえよう。



その人類が抱える危機感は、次世代への影響という近未来までを包括するものとして、世界中が真剣に対処する時期に来ていたのである


例えば、日本でいうと、焚き火や野焼きやビニールや様々なものを償却することを、国が県が自治体が町内会が禁止している。一般家庭の塵の処理を、五種類に分別して収集処理している。おそらく先進国においては大なり小なり国がかりで取り組んできている。科学文明がもたらした便利さの代償として、そこから引き起こされた地球規模の環境汚染をくい止めるために、再び科学文明を利用してその被害を最小限に押さえ込もうとしている。


しかし、考えてみればもともと地球上に自然にあったものを取り戻そうとしているだけである。現在地球規模で科学文明を利用して物理的に取り戻そうとしているが、それだけでは危機感を拭い切れないことに賢明ながら様々な国が気付き始めている。それは精神文化の再獲得もしくは新獲得である。
その精神文化を獲得するために最も有効な方法は何かと各国が模索する中で、日本の俳句に白羽の矢が当たった感が強い。


さて、ここでなぜ日本の俳句なのであろうか、ということを少し考えてみることにする。
日本の俳句の特質―大自然との調和―
このことは、日本と欧州諸国との一番の相違ともなっている。例えば、日本の自然に対する接し方と、欧州諸国の特に欧州先進国の自然に対する接し方には大きな差異がみられる。


日本の場合は、山や川と調和するように人は生活した。山の恩恵と川の恩恵に感謝しながら必要以上のものを獲ったり採取したりすることはなかった。洪水になったり飢饉になっても自然の中で生きる術を見出していた。一方西欧先進国においては、自然は人間に対立するものとして存在した。その自然を人間が征服することによって幸福を勝ち得ることができると考えてきた。人間の生活に邪魔な山があれば、切り崩して平らにし、川が氾濫すれば周りをコンクリートで固めて水害を起こさないようにした。


しかし、現在その川に魚は棲まず、その山の生き物は姿を消した。魚が棲めない川、生物が生きられないアスファルトで固められた地面、わずか五十年で破壊し続けてきたこの環境の中で生きることの息苦しさを、今身を持って感じているのである。留まることを知らない人間の欲望の愚かさを今実感しているのである。そこに、初めて次世代に繋ぐ精神文化の必要性を、日本の俳句に求めたといえるのではないだろうか。自然との調和の一部として人間が存在するという俳句の根本理念に世界が同調したといえるのではないだろうか。

小学一年生の俳句
うぐいすがうちのしみずをのみにくる
中学一年生の俳句
先生の投げた小石で霧晴れる
どちらも日本の生徒が詠んだ俳句である。小学一年生の俳句は日本の昭和二十年代に詠まれている。自分の家の水は山から引いている清水であり、そこにたまたま鶯がその水を飲みにきた光景を詠んでいる。自然のめぐみを「うちのしみず」と詠んだその子は、鶯を友達のように感じている。その様子はその時代、日本のどこにでも見られた光景でもあった。そして、その子が当たり前のように自然に詠み出すことができたのは、日本の風土と伝統を生まれもって獲得していると同時に生活環境が整っていたということに他ならないだろう。
中学生の俳句は、先生とみんなで山にでも出かけ、そこには霧がかかっていて、みんなが石を投げて遊んでいる時のことであろう。先生が投げるというので、みんなはきっと注目していたに違いない。その時みんなあっと思うことが起こった。先生の投げた石で、今までかかっていた霧が晴れてしまったのである。そのみずみずしい驚きは、人間もその中にいるが霧も大きな役割を果たしている。この生徒の環境には霧が身近なものとして存在している。そしてその自然現象の中で人間と自然との関わりの面白さが存分に表現されているといえよう。この俳句でも自然と人間とは共存一体化しているのである。「自然を師と為せば人自ずから定まる」と言い残したのは私の先生でもある。このことばに俳句の根幹は集約されるであろう。
日本は多神教、西欧は一神教
今回の旅を終えて、俳句がどのように西欧に根付くことができるのかということを考え続けた。しかし、日本の俳句を西欧にそのまま移行するには大きな障害があることを認識しなければならなかった。それは宗教の違いだった。四ヶ国を回る中で、日を追うごとに自分と西欧の間に宗教観の違いを強く自覚せざるを得なかった。
例えば、教会や寺院それに付随する宗教画は、私にはただただ美しい・立派だ・歴史的な価値がある等、観光客の目をもってそれらを捉えることで精一杯だった。だが、どんな町の寺院や教会であっても、そこには厳粛な荘厳なそこに生活している人たちの祈りの姿があった。その宗教の神は詳しくは分からないが、どこででもイエスキリストに帰結されるように思われた。薄暗い堂内で、イエスもしくはイエスの使者に跪く人たちは自分や人の幸福を祈り救いを求めているように見えた。
翻って日本人である自分をみると、正月には神社へ詣で、盆には寺へ詣で、時々は神棚や仏壇に向って拝んでいる。よく言えば万葉・古事記の時代から日本の神は八百万の神であり、あらゆる所にあらゆる神が存在している。その信仰は自在が故に、一つの山・巨岩・川・空・風・大木・一本の草・桜の一片にも神を感じるのである。いい加減のようだが、四ヶ国を巡っている間、このことは日本と西欧の俳句を考えるときに最も大きな差になると思われた。
そのことは、これから西欧の人々が俳句を作る場合、日本の俳句を真似しようとするならばきっと戸惑うことになるであろう差になると思われる。それとも、日本人が、西欧の人が作った俳句を読んだときの文化・伝統・風土からくる感性の違いに戸惑うことにもなろうか。しかし、この感性は実はかなり奥深いところから出てきているのである。簡単に日本の俳句が、そのまま西欧の俳句と合体することができるかというと、それは不可能に近いと言わざるを得ない。繰り返すが、その訳は宗教観の違いからくる自然への接し方の相違によるものである。
これからの西欧の俳句の理想は、日本の俳句の根本理念ともなる「自然への自己投影」が西欧の人にもできるということだ。なぜなら、前述した地球規模の環境破壊を認識し、しかも早急にそれを食い止めなければならない現状があるからだ。次世代を担う子供たちにその大切さを理解させるためには、日本人の俳句に対する姿勢を様々な試みの中で会得させることが、そのことを解決する一番の近道であると思われるからだ。その道は遠いかも知れないが、パリの知人の娘さんの小学校で実際に授業に俳句を作っていたり、日本人によるパリ俳句会やフランクフルト俳句会の方々との吟行や俳句会という体験の中で少し光が見えてきた気がした。在仏・在独の日本人が、望郷や日本的な感性のものだけで俳句を作っているのではなく、積極的に現地の生活に根付いたものを作っているのを見て、心強く思ったことが幾つかあったからである。
一つは、フランクフルトの在住の人が自分達の歳時記を作ろうとしていたことである。このことは、私も長年「世界歳時記」ができればいいと思っていたから心から嬉しく思った。次の世代を担う子供たちに、それぞれの国がそれぞれの歳時記を作ることができれば、俳句は加速度的に広まるであろう。大げさに考えると、歳時記を編纂するなんてとても無理だとなるが、それぞれが、自国の足元をしっかり確認しながら簡単な基礎となるものを作ればいい。まあそれだけでも簡単ではないが。また、フランクフルト俳句会の日本人幼稚園園長の方は、積極的にドイツ語俳句を現地の人とやっており、その交流の深さは、日本とドイツの美意識の交合という所まで高められているように思われた。例えば、ドイツ人の音楽家は、トロンボーンのようなガラスの楽器で、俳句に曲を付けてcdを作成していた。そこには、ただ異国の目新しいものに興味を持ったというのではなく、俳句という文芸の中に音楽美を見出そうとする深い思索と和合性が感じられた。
また西欧においては、蝉やトンボや蝶は、虫としての認識しかないようであり、日本人のように季節感や郷愁や美の姿を見出すことは現在の所難しいようだ。(一つの季語でも、その国の文化・伝統・美意識・宗教に深く関わらざるを得ないから)。
西欧の俳句の実情と可能性を簡単に述べてきた。これから後は、直接的には俳句と関連がないように見えても、それぞれの事例を具体的に報告することで、国々の特性・文化の相違・美意識の相違等少しでも参考になればいいと思い日記をそのまま記述することにする。
西欧の旅覚え書き
◎信頼と不信について―不信の90パーセントは自分が仕掛けたものである。
イタリア・イギリス・フランス・ドイツを言葉も地理も何も分からずにたった一人で巡っていると、日に日に土地の人が信用できなくなっていった。イタリアのローマからミラノへの電車に乗る時、車掌や駅員に切符と座席を確認したにもかかわらず車内の検札で罰金を取られた。ミラノの飛行場ではトランクの重量オーバーで三万円近く超過料金を取られた。当たり前といえばそうなのであるが、同じ係員でも朝OKだったのに昼は気分が悪いのでだめ、いい男はOKなど本当にいい加減らしいのだ。ロンドンのヒースロー空港ではトランクが四日間行方不明になった。係員はよくあることだよの一言。どこを歩いても分案内なので各地で道を聞いたがほとんど違っていた。パリの地下鉄では自信があったにもかかわらず財布を擦られてしまったり、若者がピストルをちらつかせながら乗り込んできた。言葉が分からないので相手にもされず、誰からも見下げられうろうろふらふらしているといつの間にか自分が誰も頼ることができないのを実感し、周りの人間がだんだん自分に敵意を持っているように感じられてしまうのだ。
しかし、落ち着いて考えてみると言葉ができないのは自分の責任であり、準備不足が最初から最後までたたったのも自己責任である。今回の様々な出来事は自ずから招いた結果なのであった。それにしても、電車で網棚に荷物を乗せることができたり眠ることができたり、安心して買い物をしたり食事をすることができる日本はやっぱり気楽だぁ。
◎身体障害者と健常者―身体障害者の気持ちは、なってみてよくわかるものだ。あって欲しい順番は、1位―目、2位―手足、3位―耳、生きることに不可欠なものの順番である。
ある駅では、電車ひとつ乗るにしても切符を販売しているところを捜すだけで大変だ。販売機が改札口の近くにないのである。人の流れをじっと観察していて、やっと見つけた場所は遠く離れた新聞を売っている売店だった。ドイツのホテルのチェックインは、頭の上から怒鳴られているようだ。ただ分からないのでへらへら笑うしかない。果物を買おうと選んでいたら触るなと怒られた。自分が食べたい暖かい地元の食事を頼むことができない。いつの間にか人のいない所を選んで歩いている。犬・猫・雀に話しかけている自分が恨めしかった。
◎言葉についてー英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語どこか似ている。日本語は世界の僻地語だ。しかし、その日本語のあり方に、これからの言語の文化が潜んでいるのであることを認識する必要がある。
西欧は、やはり契約社会である。待ち合わせ時間・食事後の支払い・頼み事・挨拶・食事の仕方・商品の売り買い等すべてイエスかノーの決まりがあるようだ。中途半端に約束したり、遠慮して曖昧に返事したり、自分の気持ちは反対なのに適当に相手に合わせているととんでもないことになる。どうも相手の気持ちを汲み取って会話を進めることがないようだ。自分の主義・主張をいつでも相手に表明し、納得いかないときははっきり拒絶の意思を示す。だから時には大声でまるで口喧嘩のような話し方になる。このことは単に文字が表音か表意の違いだけではないだろう。地続きでお互いに侵略を繰り返してきた西欧の歴史的背景が話し方にも表れているといえよう。だから敵味方の認識のために身振り手振りを交えて何とか相手に自分の気持ちを伝えようとする。日本人は一つの言葉に多くの気持ちを込めることができる。また、一つの言葉に沢山ある意味の中から、相手が伝えようとする意味を汲み取ることができる。世界の情報や文化や物資が短時間に交流交換できるような時代に、言語が持つ役割は新たな時代に入ったのではないか。私には日本の言語が持つ多様性と相互理解の受容性を西欧の言語の中に含ませることができたら、もっとゆったりと付き合っていけるように思うのだが。
◎国境についてー国境は人間が造るが、人間が自覚しないところのものには国境がない。このことが最も大切である。
日本は島国であり、他国からの侵略は第二次大戦を迎えるまで経験がないに等しい。一方西欧は陸続きで歴史上幾度も国境線が塗り替えられている。人間の欲望は限りがなく自国の富のためにローマ帝国は侵略によって超大国を築いた。しかし、現在の国境線は地図にある通りだ。人間の築いた国境線を全く感知しない世界がある。それは、動植物・天文・気候等自然に関するものである。俳句はこの自然を人間の根幹に据えて成立している文芸である。「自然を師とすれば人自ずから定まる」という教えがある。これは私の師が唱えた俳句を作る上の根本精神だが、西欧の人にこの心を理解してもらうことができればそこにおける俳句の世界も深くなるのであるが。西欧のあり方は自然を人間の生き易いように征服することが幸福に繋がると考え、日本の伝統的なそれは、自然と共存することに人間の生活を据えている。ここには、今まではなかなか埋めきれない大きな根本的差異があったが、子供たちの未来を思うと、この日本の俳句における心を獲得することが大切になるであろう。
◎時間についてー軽薄短小は、人間が文明といって追いかけてきたものであるが、その結果失われたものが沢山ある。取り分け時間が加速度的に短縮されたにもかかわらず、一日の時間の感覚・容量が足りないと思うのはなぜだろうか。豊かな時間は豊かな人間を形成する。
イタリアの出勤時間は一番遅れているものに合わせ、退勤時間は一番早い時間に合わせる。町の時計で時刻が正確なものはほとんど見られず、ラジオの時刻さえも正確でないほどだ。要するに働くことに生活の中心があるのではなく、それ以外の趣味や行楽に重きを置いている。
十年ほど前に中国の広州を旅したことがあるが、そこに広がる田園地帯は、私が生まれ育った昭和二十年?三十年代の農村風景がタイムスリップしたようであった。ゆったりとした時間が流れていて貧しいけれども、何かあるがままの中に、ある種の豊かさを感じたものだった。それは、飛行機や列車の運行にも現れていた。ある空港で同国内を移動するために乗り継ぎの飛行機を待っていたのだが、二時間・三時間経過しても飛行機がやってこない。係りの人に聞いても「私には分からない」が繰り返されるばかりだった。やっと八時間後に飛行機がやってきたのだ。私がそこで驚いたのは、飛行機が遅れた時間もさることながら、待合所にいる現地の人々が、誰も文句を言わないで当たり前のようにただ黙々と静かに待っていたことである。中国に詳しい人に後で聞いたら、「まだいいほうだよ、その日に乗れたんだから」。日本でも乗り物の遅延はよくあることだが、忍耐の限界は一時間を越えることはない。三時間も待たされて何の説明もなしに黙って待つことは不可能に近い。中国においては、当時時間の流れが本当にゆったりしていたのである。
◎家屋についてー動植物を見れば、理想的な家屋のあり方が分かる。西欧と日本を比較しても家屋の材料は土地に適応したものが使われている。しかし、新興都市の家屋はそれぞれの風土を無視した作りになってしまった。一見暮らしやすい家屋のようだが、現段階でもあちこちにひずみが生まれている。
西欧は中世以来家屋は石造りの国であり、その建造物は現在も引き継がれ活かされている。
◎食事についてー食事は、人間の本能に属しているので大変面白い面がある。西欧も日本も東南アジアも、世界が近くなった今、二十年三十年後には自然淘汰されて、どこでも同じものを食すことができるようになるだろう。
◎貨幣についてー貨幣の価値は、国力と一致している。国力は、世界の不均衡の中に生まれる。貨幣の使われ方は、後進国ほど貨幣本来のあり方を維持している。先進国がカード社会になってから久しいが、ここにも大きな歪みが生まれてきている。ただどこの国でも生活範囲において、貨幣単位が下から二番目までは、存在しても現実的には釣銭のために必要になっているだけで価値観がほとんど失われているようだ。カードではそれが一番下の単位まで生活の中に密着しているといえる。
◎交通についてー左側・右側通行どちらなのか、どうして決まったのか。車の運転マナーは国によって民族性が出ている。イタリアは、少しでも先に出た方が勝ち、信号は赤でも止まるな、後ろから追突される。イギリスは、丁寧な運転多し。フランスはイタリアに似ている。ドイツは規則を守るが、スピードを出す。歩行者は、イタリア・フランスは信号を守らない。イギリス・ドイツは信号を守る。フランスは路上駐車が多い。前後隙間なく駐車するので、出るときは前後に車をぶつけて出る。どこの国でも高価な車はあまり見られない。電車の乗り方は、切符の売り場から改札からみな違う。乗るときは切符が必要だが降りるときは、チェックがないのは共通している。ユーロ圏はほとんどフリーパスの状態だ。タクシーは日本より四割ぐらい安い。
◎飲料水についてー水は買って飲むもの。どこの国でも飲料水は日本と比べると不適切だ。日本人が経営している食堂では、お茶や水をただでサービスしている。これからの未来は、空気も購入して吸うことになるのかもしれない、と本気で考えた。
◎気候についてー西欧ではホテル以外は、エアコンがほとんど入っていない。ただし、暖房に関してはアパートの屋根に入居者分の煙突が立ち並んでいる。冬場はしっかり暖房をしているそうだ。
◎季語についてー西欧の国別歳時記を、次の世代の子供たちのために作ることができたらすばらしい。フランクフルト俳句会のひとが、それをやりたいと言っていた。しかし、今はドイツの日本人のために、ドイツの歳時記を作りたいと考えている。歳時記は、西欧において宗教を理解しないと難しいように思われる。日本の神仏に対する概念と、西欧のそれは大きな温度差がある。西欧の人たちが、一本の草を、一つの山を、川を、親を、空をキリストと同じように信仰することができるならば、歳時記製作は簡単なのであるが。
◎服装についてー西欧は質素である。大半の人が伝統を重んじており、華美なもの・一点豪華主義的なものは身に着けない。良いものを長く大切に使い込む。若者は日本とあまり変わらないが、その立ち振る舞いはどこか伝統的な民族的な質の高さを感じる。
◎日本人と外国人についてー働く人,働かない人、働ける人、働けない人。身長・容姿・白・黒・茶なかなか無視できない。
◎美術館についてー美術品に値札をつけるのも一興。身近な展示、子供も静か。
◎テレビについてー子供・大人の番組に別あり。マークで判別できるようにしてある。
◎ホテルについてー部屋の金庫、フロントどちらも貴重品を預けられない.不信。
◎タクシーについてー日本よりも半額程度の料金である。
◎スーパーマーケットについてー楽しい。それぞれの土地の暮らしぶりが分かる。客が持ち運びして、店員はレジのみ。右から左に品物を流すだけ。
◎トランクについてー予備のカギは手提げへ。トランクの中に入れないこと。布製のトランクがよい。重さの問題で。中身はできる限りコンパクトに。
◎本屋についてー値段が高い。客は気軽に本を買えないようだ。だから本を大切にしている。
◎河についてー生活水路が多い。その他は川が大変少ない。水量もあまりない。
◎家屋についてー日本は木と紙だが、西欧は石とレンガだ。どちらも近くで都合がつく材料だ。
◎宗教についてーこれを理解しないで西欧を理解することは不可能だ。日本の宗教観と西欧のそれは根本的に異質なものがありそうだ。一本の草花に神の造化を、大岩に、木に、川に、一匹の蜻蛉に神の造化を感応することができるか。
◎寺院についてー観光の対象になっている寺院はどこでも修復されて立派になっているが、町裏の寺院は同じ年数を刻んでいても修復されずそのままである。しかし、そこに本当の信仰と風習と人の生活をみることができる。
◎酒についてーワイン・ビールさまざまな酒は食事を更に旨くし、人との会話を更に滑らかにする。どこにでも酒依存症の人がいる。人はそれぞれに自分の名酒を持っている。
◎駅についてー入り口は改札があるが出口はフリーパス。不正乗車の罰金は日本よりかなり高い。犬も家族一緒に乗車。
◎黒田清輝―「黒田清輝の道」が2001年頃できたそうだ。村のシスレーが住んでいた家の近くにあり幅3mぐいの石畳の道である。フランスで初めて日本人の名前が付いた地名だそうだ。静かな落ち着いた村にあったたたずまいの家だ。それを訪ねる人は日本人ぐらいしかいないようだ。しかし、フランス在住の日本人にとっては誇りに思う道だ。
◎西欧の日本人―西欧の日本人は、二十年・三十年いてもやはり日本人だ。個人主義の徹底した中で、生き延びている力は大したものだ。新米日本人はすぐに人間不信に陥ってしまい日本人を忘れてしまいがちであるが、ベテランはしっかり根を生やして堂々と立っている。しかも、日本人の感性を保ちながら。
◎植物・・イタリアを除いては、3カ国とも日本に似ている植物が多かった。気候と土壌が似ていることからだろう。
◎宗教・・4カ国ともキリスト教の影響が多大であり、日本とは宗教観がかなり異なる。神に対する概念も大きな差が見られる。
◎動物・・4カ国とも調査ができなかったので不明。しかし、雀・カラスに関しては4カ国ともいて、多少の差異が見られた。イタリアのカラスは腹部あたりが白く、その他3カ国は日本とほとんど同じである。ちなみにオーストラリアのカラスもイタリアとおなじくに白い羽があった。雀はイタリアではかなり人間に馴れていて足元で餌をついばむ。フランスではもっと人間に馴れていて、手から餌を食べていた。しかしよく見ているとフランスでは、どうもおじさんが公園の雀を餌付けしたのではないかと思われる。おじさんが餌をもってきて、子供たちに分けてそれを雀が手から食べている。
◎行事・・日本との大きな差異は、宗教に関する年中行事が圧倒的に多いことだ。日本は農業を中心にした行事が多い。もっともこの年中行事も、暦に掲載されるものを中心に判断している。
◎季節・・イタリアを除いては、日本と同じように四季がはっきりしているといっていいようだ。
◎人事・・これも行事と同じように、宗教関係が多くを占めているといっていいだろう。衣食住の生活においてもその国々に応じたレベルであり、どちらかというと質素な部類に入る。現在の日本と違うのは物を大切に扱うところか。
◎忌日・・歴史上の有名人がその名を連ねるのは日本と同じである。これも祭日になるかどうかは、それぞれのお国事情によるだろう。
◎自然に対する感性について・・イタリアは温暖な土地柄であり、どうも一本の雑草に詩心を感じる民族ではないようだ。このような詩心を持っている可能性のある民族は、ドイツ・イギリス・フランス・イタリアの順番であろう。イギリスとドイツはほとんど同率と言ってよいほど自然への憧憬が深いようだ。
「夏燕」
夏の夜や旅荷の未だ整わず
人恋へば夏天へ古都の鐘が鳴る
十字切る朱夏の光の中にゐて
訥々と母子の祈り堂涼し
人黙し天より入り来朱夏の光
合歓の花ローマは暑き日とならむ
炎帝や人灼けゐたるコロッセオ
主の国へ礼深々と西日濃し
天灼けてジャージャーと蝉高鳴きす
子を抱く母そのままに遺跡暑し
ポンペイの丘夏雲の越えゆけり
また一つトラブル起きし暑き国
暑き国話せぬ吾が道を聞く
短夜の横になりたる旅鞄
生きることの意味は知らねど日矢暑し
木の下で床屋繁盛風涼し
神の山ほそぼそと人の道暑し
天より見ゆ夏の地球のパッチワーク
両腕をもがれ異国の夏の月
青年の慈悲にすがりぬ夜の涼し
夏の夜や異国に失せし旅鞄
林檎喰いて異国の夏を淋しめり
夏燕お前もここに渡りしか
英国のコイン鳴らして夏ズボン
風死せり吾は異国の異邦人
涼しさやロンドンの夜の一眠り
日本が祖国となりし夏の夜
短夜の夢山盛りのいなり寿司
真夜の鐘涼しどこかで明ける気配
短夜の異国に手足丸め寝る
夏暁や音色の違う屁を二つ
ロンドン塔低し夏雨しきりなり
漱石の見しロンドンや夏時雨
コチコチと日本の時ぞ夏の夜
水浴びる子らは人種のるつぼかな
水浴びの子らは天使か耀ふ日
あの飛機は故郷へ行くか夏の暮
曇なれば英国日和夏の旅
群れ居たる鳥牛羊晩夏光
一村はレンガの家や秋近し
涼しさやバグパイプの音昇りくる
海風に吹かれエディンバラ城晩夏
夏微光尖塔を雲流れゆく
晩夏光暮れて古城は孤城たり
野の花とともに吹かれて風涼し
獅子の座は神在るごとし晩夏光
若者の嬌声つづく夏の闇
母と子の別れ駅には夏の花
日本語の友の手紙やパリ晩夏
短夜や遠き日本の子らの声
涼しさの満ち来る園やパリの夕
子雀の手より啄ばむパリ晩夏
晩夏光暮るるに早きパリの園
汗しとど巴里地下鉄のスリに会ふ
道問ふも更に迷ひぬ夏の国
炎帝や吾を見下す女の目
行き交ひの船やセーヌは秋に入る
千年を越え実りゆく葡萄かな
秋草や故郷の空の遠かりき
秋燕一羽セーヌの川に消ゆ
秋陽濃し国境を越えまた行かむ
秋の窓少し不自由な鳩の足
生きること死ぬことパリの秋落ち葉
目覚むるも巴里は巴里なり秋の月
音立てて秋雨パリの闇を生む
人住まぬ古城かなしや秋の暮
異国人同士目が合ふ秋の橋
ビル越しにパリの朝火事秋浅し
名も知らぬトンボは青しパリの水
秋暑しJAPONの名ある杉並木
秋蝶のよぎりて澄むやパリ小道
初秋やオペラ座前のカフェテラス
八月やオペラ座大戸閉ぢしまま
パリの秋語らふほどに人恋し
流れゆく人ひとパリは秋日濃し
ひそやかに水澄み村の洗濯場
秋雨や画家の影見る石畳
シスレーの絵葉書買うや秋の村
秋時雨ゆくも帰るもグレー橋
一列に記念写真や秋の村
皇帝の階高し秋燕
秋暑し異国に吾は唖となり
白帝や車輪に窪む石畳
秋雨の街鴎外の住みし街
照り翳りしてベルリンの秋一日
そぞろ寒己に話しかけゐたり
ベルリンの壁売る店や秋時雨
舞姫はいづこベルリン秋時雨
若者の嬌声つづく秋の闇
秋灯下吾ベルリンの異邦人
ベルリンの壁を間近に秋時雨
秋天やナチ紋章は消え去りし
ドイツ語の固き響きや秋の闇
天高し地にはユダヤの収容所
秋灯下ベルリンの闇恐れけり
片隅にアンネの本や秋の街
起きてより鳴る目覚ましや秋の国
秋暁やベルリンの街平らなり
秋燕飛ぶベルリンの空広し
ベルリンの秋空日本の飛行船
語りり聞くゲーテの恋や秋館
美しき日本の言葉秋の雲
いちぢくの実熟れ詩人の誕生日
たちあほひ倒れて触れしキューピット
人待てば異国親しき秋の朝
古都の秋天秤を持つ女神の瞳
そぞろ行く木組み石組み古都の秋
マイン川秋の花挿し貨物船
母抱くキリスト眠る秋の堂
秋の陽の神の光となりにけり
聖堂を出で秋天の深かりし
秋の花あかあか散るや石の上
対岸は林檎酒の村秋日和
またもとの暮しに戻り虫時雨
(如泉)
以上で海外研修報告を終了するが、この旅で大変お世話になった各国の方々に感謝するとともに、この貴重な機会を与えて頂いた関係各位に重ねて御礼申し上げる次第である。

小学一年生の俳句

うぐいすがうちのしみずをのみにくる

中学一年生の俳句

先生の投げた小石で霧晴れる


どちらも日本の生徒が詠んだ俳句である。

小学一年生の俳句は日本の昭和二十年代に詠まれている。自分の家の水は山から引いている清水であり、そこにたまたま鶯がその水を飲みにきた光景を詠んでいる。自然のめぐみを「うちのしみず」と詠んだその子は、鶯を友達のように感じている。その様子はその時代、日本のどこにでも見られた光景でもあった。そして、その子が当たり前のように自然に詠み出すことができたのは、日本の風土と伝統を生まれもって獲得していると同時に生活環境が整っていたということに他ならないだろう。


中学生の俳句は、先生とみんなで山にでも出かけ、そこには霧がかかっていて、みんなが石を投げて遊んでいる時のことであろう。先生が投げるというので、みんなはきっと注目していたに違いない。その時みんなあっと思うことが起こった。先生の投げた石で、今までかかっていた霧が晴れてしまったのである。そのみずみずしい驚きは、人間もその中にいるが霧も大きな役割を果たしている。この生徒の環境には霧が身近なものとして存在している。そしてその自然現象の中で人間と自然との関わりの面白さが存分に表現されているといえよう。この俳句でも自然と人間とは共存一体化しているのである。「自然を師と為せば人自ずから定まる」と言い残したのは私の先生でもある。このことばに俳句の根幹は集約されるであろう。


日本は多神教、西欧は一神教


今回の旅を終えて、俳句がどのように西欧に根付くことができるのかということを考え続けた。しかし、日本の俳句を西欧にそのまま移行するには大きな障害があることを認識しなければならなかった。それは宗教の違いだった。四ヶ国を回る中で、日を追うごとに自分と西欧の間に宗教観の違いを強く自覚せざるを得なかった。


例えば、教会や寺院それに付随する宗教画は、私にはただただ美しい・立派だ・歴史的な価値がある等、観光客の目をもってそれらを捉えることで精一杯だった。だが、どんな町の寺院や教会であっても、そこには厳粛な荘厳なそこに生活している人たちの祈りの姿があった。その宗教の神は詳しくは分からないが、どこででもイエスキリストに帰結されるように思われた。薄暗い堂内で、イエスもしくはイエスの使者に跪く人たちは自分や人の幸福を祈り救いを求めているように見えた。


翻って日本人である自分をみると、正月には神社へ詣で、盆には寺へ詣で、時々は神棚や仏壇に向って拝んでいる。よく言えば万葉・古事記の時代から日本の神は八百万の神であり、あらゆる所にあらゆる神が存在している。その信仰は自在が故に、一つの山・巨岩・川・空・風・大木・一本の草・桜の一片にも神を感じるのである。いい加減のようだが、四ヶ国を巡っている間、このことは日本と西欧の俳句を考えるときに最も大きな差になると思われた。


そのことは、これから西欧の人々が俳句を作る場合、日本の俳句を真似しようとするならばきっと戸惑うことになるであろう差になると思われる。それとも、日本人が、西欧の人が作った俳句を読んだときの文化・伝統・風土からくる感性の違いに戸惑うことにもなろうか。しかし、この感性は実はかなり奥深いところから出てきているのである。簡単に日本の俳句が、そのまま西欧の俳句と合体することができるかというと、それは不可能に近いと言わざるを得ない。繰り返すが、その訳は宗教観の違いからくる自然への接し方の相違によるものである。


これからの西欧の俳句の理想は、日本の俳句の根本理念ともなる「自然への自己投影」が西欧の人にもできるということだ。なぜなら、前述した地球規模の環境破壊を認識し、しかも早急にそれを食い止めなければならない現状があるからだ。次世代を担う子供たちにその大切さを理解させるためには、日本人の俳句に対する姿勢を様々な試みの中で会得させることが、そのことを解決する一番の近道であると思われるからだ。その道は遠いかも知れないが、パリの知人の娘さんの小学校で実際に授業に俳句を作っていたり、日本人によるパリ俳句会やフランクフルト俳句会の方々との吟行や俳句会という体験の中で少し光が見えてきた気がした。在仏・在独の日本人が、望郷や日本的な感性のものだけで俳句を作っているのではなく、積極的に現地の生活に根付いたものを作っているのを見て、心強く思ったことが幾つかあったからである。


一つは、フランクフルトの在住の人が自分達の歳時記を作ろうとしていたことである。

このことは、私も長年「世界歳時記」ができればいいと思っていたから心から嬉しく思った。

次の世代を担う子供たちに、それぞれの国がそれぞれの歳時記を作ることができれば、俳句は加速度的に広まるであろう。

大げさに考えると、歳時記を編纂するなんてとても無理だとなるが、それぞれが、自国の足元をしっかり確認しながら簡単な基礎となるものを作ればいい。

まあそれだけでも簡単ではないが。

また、フランクフルト俳句会の日本人幼稚園園長の方は、積極的にドイツ語俳句を現地の人とやっており、その交流の深さは、日本とドイツの美意識の交合という所まで高められているように思われた。

例えば、ドイツ人の音楽家は、トロンボーンのようなガラスの楽器で、俳句に曲を付けてcdを作成していた。そこには、ただ異国の目新しいものに興味を持ったというのではなく、俳句という文芸の中に音楽美を見出そうとする深い思索と和合性が感じられた。


また西欧においては、蝉やトンボや蝶は、虫としての認識しかないようであり、日本人のように季節感や郷愁や美の姿を見出すことは現在の所難しいようだ。(一つの季語でも、その国の文化・伝統・美意識・宗教に深く関わらざるを得ないから)。


西欧の俳句の実情と可能性を簡単に述べてきた。

これから後は、直接的には俳句と関連がないように見えても、それぞれの事例を具体的に報告することで、国々の特性・文化の相違・美意識の相違等少しでも参考になればいいと思い日記をそのまま記述することにする。


西欧の旅覚え書き


◎信頼と不信について―不信の90パーセントは自分が仕掛けたものである。


イタリア・イギリス・フランス・ドイツを言葉も地理も何も分からずにたった一人で巡っていると、日に日に土地の人が信用できなくなっていった。

イタリアのローマからミラノへの電車に乗る時、車掌や駅員に切符と座席を確認したにもかかわらず車内の検札で罰金を取られた。

ミラノの飛行場ではトランクの重量オーバーで三万円近く超過料金を取られた。

当たり前といえばそうなのであるが、同じ係員でも朝OKだったのに昼は気分が悪いのでだめ、いい男はOKなど本当にいい加減らしいのだ。

ロンドンのヒースロー空港ではトランクが四日間行方不明になった。

係員はよくあることだよの一言。

どこを歩いても分案内なので各地で道を聞いたがほとんど違っていた。

パリの地下鉄では自信があったにもかかわらず財布を擦られてしまったり、若者がピストルをちらつかせながら乗り込んできた。

言葉が分からないので相手にもされず、誰からも見下げられうろうろふらふらしているといつの間にか自分が誰も頼ることができないのを実感し、周りの人間がだんだん自分に敵意を持っているように感じられてしまうのだ。


しかし、落ち着いて考えてみると言葉ができないのは自分の責任であり、準備不足が最初から最後までたたったのも自己責任である。今回の様々な出来事は自ずから招いた結果なのであった。それにしても、電車で網棚に荷物を乗せることができたり眠ることができたり、安心して買い物をしたり食事をすることができる日本はやっぱり気楽だぁ。


◎身体障害者と健常者―身体障害者の気持ちは、なってみてよくわかるものだ。

あって欲しい順番は、1位―目、2位―手足、3位―耳、生きることに不可欠なものの順番である。


ある駅では、電車ひとつ乗るにしても切符を販売しているところを捜すだけで大変だ。

販売機が改札口の近くにないのである。

人の流れをじっと観察していて、やっと見つけた場所は遠く離れた新聞を売っている売店だった。ドイツのホテルのチェックインは、頭の上から怒鳴られているようだ。

ただ分からないのでへらへら笑うしかない。

果物を買おうと選んでいたら触るなと怒られた。

自分が食べたい暖かい地元の食事を頼むことができない。

いつの間にか人のいない所を選んで歩いている。

犬・猫・雀に話しかけている自分が恨めしかった。


◎言葉についてー英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語どこか似ている。

日本語は世界の僻地語だ。

しかし、その日本語のあり方に、これからの言語の文化が潜んでいるのであることを認識する必要がある。


西欧は、やはり契約社会である。

待ち合わせ時間・食事後の支払い・頼み事・挨拶・食事の仕方・商品の売り買い等すべてイエスかノーの決まりがあるようだ。中途半端に約束したり、遠慮して曖昧に返事したり、自分の気持ちは反対なのに適当に相手に合わせているととんでもないことになる。

どうも相手の気持ちを汲み取って会話を進めることがないようだ。

自分の主義・主張をいつでも相手に表明し、納得いかないときははっきり拒絶の意思を示す。

だから時には大声でまるで口喧嘩のような話し方になる。

このことは単に文字が表音か表意の違いだけではないだろう。

地続きでお互いに侵略を繰り返してきた西欧の歴史的背景が話し方にも表れているといえよう。

だから敵味方の認識のために身振り手振りを交えて何とか相手に自分の気持ちを伝えようとする。

日本人は一つの言葉に多くの気持ちを込めることができる。

また、一つの言葉に沢山ある意味の中から、相手が伝えようとする意味を汲み取ることができる。

世界の情報や文化や物資が短時間に交流交換できるような時代に、言語が持つ役割は新たな時代に入ったのではないか。

私には日本の言語が持つ多様性と相互理解の受容性を西欧の言語の中に含ませることができたら、もっとゆったりと付き合っていけるように思うのだが。


◎国境についてー国境は人間が造るが、人間が自覚しないところのものには国境がない。このことが最も大切である。


日本は島国であり、他国からの侵略は第二次大戦を迎えるまで経験がないに等しい。

一方西欧は陸続きで歴史上幾度も国境線が塗り替えられている。

人間の欲望は限りがなく自国の富のためにローマ帝国は侵略によって超大国を築いた。

しかし、現在の国境線は地図にある通りだ。

人間の築いた国境線を全く感知しない世界がある。

それは、動植物・天文・気候等自然に関するものである。

俳句はこの自然を人間の根幹に据えて成立している文芸である。

「自然を師とすれば人自ずから定まる」という教えがある。

これは私の師が唱えた俳句を作る上の根本精神だが、西欧の人にこの心を理解してもらうことができればそこにおける俳句の世界も深くなるのであるが。

西欧のあり方は自然を人間の生き易いように征服することが幸福に繋がると考え、日本の伝統的なそれは、自然と共存することに人間の生活を据えている。

ここには、今まではなかなか埋めきれない大きな根本的差異があったが、子供たちの未来を思うと、この日本の俳句における心を獲得することが大切になるであろう。


◎時間についてー軽薄短小は、人間が文明といって追いかけてきたものであるが、その結果失われたものが沢山ある。

取り分け時間が加速度的に短縮されたにもかかわらず、一日の時間の感覚・容量が足りないと思うのはなぜだろうか。

豊かな時間は豊かな人間を形成する。


イタリアの出勤時間は一番遅れているものに合わせ、退勤時間は一番早い時間に合わせる。

町の時計で時刻が正確なものはほとんど見られず、ラジオの時刻さえも正確でないほどだ。

要するに働くことに生活の中心があるのではなく、それ以外の趣味や行楽に重きを置いている。


十年ほど前に中国の広州を旅したことがあるが、そこに広がる田園地帯は、私が生まれ育った昭和二十年?三十年代の農村風景がタイムスリップしたようであった。

ゆったりとした時間が流れていて貧しいけれども、何かあるがままの中に、ある種の豊かさを感じたものだった。

それは、飛行機や列車の運行にも現れていた。

ある空港で同国内を移動するために乗り継ぎの飛行機を待っていたのだが、二時間・三時間経過しても飛行機がやってこない。

係りの人に聞いても「私には分からない」が繰り返されるばかりだった。

やっと八時間後に飛行機がやってきたのだ。私がそこで驚いたのは、飛行機が遅れた時間もさることながら、待合所にいる現地の人々が、誰も文句を言わないで当たり前のようにただ黙々と静かに待っていたことである。

中国に詳しい人に後で聞いたら、「まだいいほうだよ、その日に乗れたんだから」。

日本でも乗り物の遅延はよくあることだが、忍耐の限界は一時間を越えることはない。

三時間も待たされて何の説明もなしに黙って待つことは不可能に近い。

中国においては、当時時間の流れが本当にゆったりしていたのである。


◎家屋についてー動植物を見れば、理想的な家屋のあり方が分かる。

西欧と日本を比較しても家屋の材料は土地に適応したものが使われている。

しかし、新興都市の家屋はそれぞれの風土を無視した作りになってしまった。

一見暮らしやすい家屋のようだが、現段階でもあちこちにひずみが生まれている。

西欧は中世以来家屋は石造りの国であり、その建造物は現在も引き継がれ活かされている。


◎食事についてー食事は、人間の本能に属しているので大変面白い面がある。

西欧も日本も東南アジアも、世界が近くなった今、二十年三十年後には自然淘汰されて、どこでも同じものを食すことができるようになるだろう。


◎貨幣についてー貨幣の価値は、国力と一致している。

国力は、世界の不均衡の中に生まれる。

貨幣の使われ方は、後進国ほど貨幣本来のあり方を維持している。

先進国がカード社会になってから久しいが、ここにも大きな歪みが生まれてきている。

ただどこの国でも生活範囲において、貨幣単位が下から二番目までは、存在しても現実的には釣銭のために必要になっているだけで価値観がほとんど失われているようだ。

カードではそれが一番下の単位まで生活の中に密着しているといえる。


◎交通についてー左側・右側通行どちらなのか、どうして決まったのか。

車の運転マナーは国によって民族性が出ている。

イタリアは、少しでも先に出た方が勝ち、信号は赤でも止まるな、後ろから追突される。イギリスは、丁寧な運転多し。フランスはイタリアに似ている。

ドイツは規則を守るが、スピードを出す。

歩行者は、イタリア・フランスは信号を守らない。イギリス・ドイツは信号を守る。

フランスは路上駐車が多い。前後隙間なく駐車するので、出るときは前後に車をぶつけて出る。

どこの国でも高価な車はあまり見られない。

電車の乗り方は、切符の売り場から改札からみな違う。

乗るときは切符が必要だが降りるときは、チェックがないのは共通している。

ユーロ圏はほとんどフリーパスの状態だ。

タクシーは日本より四割ぐらい安い。


◎飲料水についてー水は買って飲むもの。

どこの国でも飲料水は日本と比べると不適切だ。

日本人が経営している食堂では、お茶や水をただでサービスしている。

これからの未来は、空気も購入して吸うことになるのかもしれない、と本気で考えた。


◎気候についてー西欧ではホテル以外は、エアコンがほとんど入っていない。

ただし、暖房に関してはアパートの屋根に入居者分の煙突が立ち並んでいる。

冬場はしっかり暖房をしているそうだ。


◎季語についてー西欧の国別歳時記を、次の世代の子供たちのために作ることができたらすばらしい。フランクフルト俳句会のひとが、それをやりたいと言っていた。

しかし、今はドイツの日本人のために、ドイツの歳時記を作りたいと考えている。

歳時記は、西欧において宗教を理解しないと難しいように思われる。

日本の神仏に対する概念と、西欧のそれは大きな温度差がある。

西欧の人たちが、一本の草を、一つの山を、川を、親を、空をキリストと同じように信仰することができるならば、歳時記製作は簡単なのであるが。


◎服装についてー西欧は質素である。大半の人が伝統を重んじており、華美なもの・一点豪華主義的なものは身に着けない。

良いものを長く大切に使い込む。

若者は日本とあまり変わらないが、その立ち振る舞いはどこか伝統的な民族的な質の高さを感じる。


◎日本人と外国人についてー働く人,働かない人、働ける人、働けない人。

身長・容姿・白・黒・茶なかなか無視できない。


◎美術館についてー美術品に値札をつけるのも一興。身近な展示、子供も静か。


◎テレビについてー子供・大人の番組に別あり。マークで判別できるようにしてある。


◎ホテルについてー部屋の金庫、フロントどちらも貴重品を預けられない.不信。


◎タクシーについてー日本よりも半額程度の料金である。


◎スーパーマーケットについてー楽しい。それぞれの土地の暮らしぶりが分かる。

客が持ち運びして、店員はレジのみ。右から左に品物を流すだけ。


◎トランクについてー予備のカギは手提げへ。

トランクの中に入れないこと。布製のトランクがよい。重さの問題で。中身はできる限りコンパクトに。


◎本屋についてー値段が高い。客は気軽に本を買えないようだ。だから本を大切にしている。


◎河についてー生活水路が多い。その他は川が大変少ない。水量もあまりない。


◎家屋についてー日本は木と紙だが、西欧は石とレンガだ。どちらも近くで都合がつく材料だ。


◎宗教についてーこれを理解しないで西欧を理解することは不可能だ。

日本の宗教観と西欧のそれは根本的に異質なものがありそうだ。

一本の草花に神の造化を、大岩に、木に、川に、一匹の蜻蛉に神の造化を感応することができるか。


◎寺院についてー観光の対象になっている寺院はどこでも修復されて立派になっているが、町裏の寺院は同じ年数を刻んでいても修復されずそのままである。

しかし、そこに本当の信仰と風習と人の生活をみることができる。


◎酒についてーワイン・ビールさまざまな酒は食事を更に旨くし、人との会話を更に滑らかにする。

どこにでも酒依存症の人がいる。人はそれぞれに自分の名酒を持っている。


◎駅についてー入り口は改札があるが出口はフリーパス。

不正乗車の罰金は日本よりかなり高い。犬も家族一緒に乗車。


◎黒田清輝―「黒田清輝の道」が2001年頃できたそうだ。

村のシスレーが住んでいた家の近くにあり幅3mぐいの石畳の道である。

フランスで初めて日本人の名前が付いた地名だそうだ。

静かな落ち着いた村にあったたたずまいの家だ。

それを訪ねる人は日本人ぐらいしかいないようだ。

しかし、フランス在住の日本人にとっては誇りに思う道だ。


◎西欧の日本人―西欧の日本人は、二十年・三十年いてもやはり日本人だ。

個人主義の徹底した中で、生き延びている力は大したものだ。

新米日本人はすぐに人間不信に陥ってしまい日本人を忘れてしまいがちであるが、ベテランはしっかり根を生やして堂々と立っている。

しかも、日本人の感性を保ちながら。


◎植物・・イタリアを除いては、3カ国とも日本に似ている植物が多かった。

気候と土壌が似ていることからだろう。


◎宗教・・4カ国ともキリスト教の影響が多大であり、日本とは宗教観がかなり異なる。

神に対する概念も大きな差が見られる。


◎動物・・4カ国とも調査ができなかったので不明。

しかし、雀・カラスに関しては4カ国ともいて、多少の差異が見られた。

イタリアのカラスは腹部あたりが白く、その他3カ国は日本とほとんど同じである。

ちなみにオーストラリアのカラスもイタリアとおなじくに白い羽があった。

雀はイタリアではかなり人間に馴れていて足元で餌をついばむ。

フランスではもっと人間に馴れていて、手から餌を食べていた。

しかしよく見ているとフランスでは、どうもおじさんが公園の雀を餌付けしたのではないかと思われる。

おじさんが餌をもってきて、子供たちに分けてそれを雀が手から食べている。


◎行事・・日本との大きな差異は、宗教に関する年中行事が圧倒的に多いことだ。

日本は農業を中心にした行事が多い。もっともこの年中行事も、暦に掲載されるものを中心に判断している。


◎季節・・イタリアを除いては、日本と同じように四季がはっきりしているといっていいようだ。


◎人事・・これも行事と同じように、宗教関係が多くを占めているといっていいだろう。

衣食住の生活においてもその国々に応じたレベルであり、どちらかというと質素な部類に入る。

現在の日本と違うのは物を大切に扱うところか。


◎忌日・・歴史上の有名人がその名を連ねるのは日本と同じである。

これも祭日になるかどうかは、それぞれのお国事情によるだろう。


◎自然に対する感性について・・イタリアは温暖な土地柄であり、どうも一本の雑草に詩心を感じる民族ではないようだ。

このような詩心を持っている可能性のある民族は、ドイツ・イギリス・フランス・イタリアの順番であろう。

イギリスとドイツはほとんど同率と言ってよいほど自然への憧憬が深いようだ。


「夏燕」

夏の夜や旅荷の未だ整わず

人恋へば夏天へ古都の鐘が鳴る

十字切る朱夏の光の中にゐて

訥々と母子の祈り堂涼し

人黙し天より入り来朱夏の光

合歓の花ローマは暑き日とならむ

炎帝や人灼けゐたるコロッセオ

主の国へ礼深々と西日濃し

天灼けてジャージャーと蝉高鳴きす

子を抱く母そのままに遺跡暑し

ポンペイの丘夏雲の越えゆけり

また一つトラブル起きし暑き国

暑き国話せぬ吾が道を聞く


短夜の横になりたる旅鞄

生きることの意味は知らねど日矢暑し


木の下で床屋繁盛風涼し

神の山ほそぼそと人の道暑し

天より見ゆ夏の地球のパッチワーク

両腕をもがれ異国の夏の月

青年の慈悲にすがりぬ夜の涼し

夏の夜や異国に失せし旅鞄

林檎喰いて異国の夏を淋しめり


夏燕お前もここに渡りしか

英国のコイン鳴らして夏ズボン

風死せり吾は異国の異邦人

涼しさやロンドンの夜の一眠り

日本が祖国となりし夏の夜

短夜の夢山盛りのいなり寿司

真夜の鐘涼しどこかで明ける気配

短夜の異国に手足丸め寝る

夏暁や音色の違う屁を二つ


ロンドン塔低し夏雨しきりなり

漱石の見しロンドンや夏時雨

コチコチと日本の時ぞ夏の夜

水浴びる子らは人種のるつぼかな

水浴びの子らは天使か耀ふ日

あの飛機は故郷へ行くか夏の暮

曇なれば英国日和夏の旅

群れ居たる鳥牛羊晩夏光

一村はレンガの家や秋近し

涼しさやバグパイプの音昇りくる

海風に吹かれエディンバラ城晩夏

夏微光尖塔を雲流れゆく

晩夏光暮れて古城は孤城たり

野の花とともに吹かれて風涼し

獅子の座は神在るごとし晩夏光

若者の嬌声つづく夏の闇

母と子の別れ駅には夏の花


日本語の友の手紙やパリ晩夏

短夜や遠き日本の子らの声


涼しさの満ち来る園やパリの夕

子雀の手より啄ばむパリ晩夏

晩夏光暮るるに早きパリの園

汗しとど巴里地下鉄のスリに会ふ

道問ふも更に迷ひぬ夏の国

炎帝や吾を見下す女の目

行き交ひの船やセーヌは秋に入る

千年を越え実りゆく葡萄かな

秋草や故郷の空の遠かりき

秋燕一羽セーヌの川に消ゆ


秋陽濃し国境を越えまた行かむ

秋の窓少し不自由な鳩の足

生きること死ぬことパリの秋落ち葉

目覚むるも巴里は巴里なり秋の月

音立てて秋雨パリの闇を生む

人住まぬ古城かなしや秋の暮

異国人同士目が合ふ秋の橋

ビル越しにパリの朝火事秋浅し


名も知らぬトンボは青しパリの水

秋暑しJAPONの名ある杉並木

秋蝶のよぎりて澄むやパリ小道

初秋やオペラ座前のカフェテラス

八月やオペラ座大戸閉ぢしまま

パリの秋語らふほどに人恋し

流れゆく人ひとパリは秋日濃し

ひそやかに水澄み村の洗濯場


秋雨や画家の影見る石畳

シスレーの絵葉書買うや秋の村

秋時雨ゆくも帰るもグレー橋

一列に記念写真や秋の村

皇帝の階高し秋燕

秋暑し異国に吾は唖となり

白帝や車輪に窪む石畳

秋雨の街鴎外の住みし街

照り翳りしてベルリンの秋一日

そぞろ寒己に話しかけゐたり

ベルリンの壁売る店や秋時雨

舞姫はいづこベルリン秋時雨

若者の嬌声つづく秋の闇

秋灯下吾ベルリンの異邦人

ベルリンの壁を間近に秋時雨

秋天やナチ紋章は消え去りし

ドイツ語の固き響きや秋の闇

天高し地にはユダヤの収容所

秋灯下ベルリンの闇恐れけり


片隅にアンネの本や秋の街

起きてより鳴る目覚ましや秋の国

秋暁やベルリンの街平らなり

秋燕飛ぶベルリンの空広し

ベルリンの秋空日本の飛行船

語りり聞くゲーテの恋や秋館

美しき日本の言葉秋の雲

いちぢくの実熟れ詩人の誕生日

たちあほひ倒れて触れしキューピット

人待てば異国親しき秋の朝

古都の秋天秤を持つ女神の瞳

そぞろ行く木組み石組み古都の秋

マイン川秋の花挿し貨物船

母抱くキリスト眠る秋の堂

秋の陽の神の光となりにけり

聖堂を出で秋天の深かりし

秋の花あかあか散るや石の上

対岸は林檎酒の村秋日和

またもとの暮しに戻り虫時雨


(如泉)


以上で海外研修報告を終了するが、この旅で大変お世話になった各国の方々に感謝するとともに、この貴重な機会を与えて頂いた関係各位に重ねて御礼申し上げる次第である。


 

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